2017/04/04

大学では陸上競技部に所属していた。

ゴリゴリの体育会系であるものの自分は世の人が体育会系出身者に期待するものは何1つとして身につけることなく無為に日々を過ごし漫然と無感動に引退を迎えてしまった。

 

阿呆(ここではくれぐれも褒め言葉である)としか言いようのない先輩のセリフを思い出した。

「俺は記録より記憶に残りたい」

彼はその言葉通り記録は大したことなかったが、やれ大会だ、やれ花見だ、やれ合宿だ、やれ対校戦だ、とイベントごとに痛烈なインパクトを残すような何かを見せてくれた。1番記憶に鮮烈に残っているのは大阪の大学との一対一の対校戦で頭を七色(金、黄、緑、青、紫、赤、銀)に染めて全種目に出場したことだ。記録が大したことがないのでもちろん全種目の最後の方は無様な姿を晒し頭がそんな色なせいで悪目立ちし嘲笑を誘うことになっていた。しかし、徹頭徹尾人々の印象に爪痕を残そうとするその姿勢には感服したものだ。そんなことをやろうという人間の人柄が鬱々としたものであろうはずもなく先輩が卒業するまでの1年間それなりに楽しく世話になった。

自分にはもう1人、印象に残っている先輩がいた。徹底した実力主義、努力と研究を信条とし、非強豪校である我が大学の陸上部において初の全国大会に出場せしめた実績を残し、顔がオタク(非オタク)であること以外に弱点がない(ただしかして致命的なオタク顔であった)彼は前述の先輩の「記録より記憶」発言に対し「記録残せなきゃ意味ねえだろ」と言い放った。らしい。というのもこのやり取りは自分が入学する以前のもので当時前述の七色先輩は三年、オタク顔先輩は一年の頃の話だった。自分が入学したとき七色先輩はM2、オタク顔先輩はB4であった。

のちにオタク顔先輩は「もう一年陸上がやりたい」という理由で内定を蹴り留年し全国大会に出場した。オタク顔先輩は顔はオタクだが中身は気さくなウェイで協議についての相談にも下半身の相談にも親身になってくれてそれはそれで不思議な親交を深めた。

 

そんな2人の先輩の言ったことをそれぞれ思い出した。自分は誰の記憶にも残らず、納得のいく好記録を残し競技から足を洗ったわけでもないどっちつかずでフラフラとした中途半端な部員であったと思った。大学での部活動は自分の生き方の縮図であったのだ。